仏教の教えはどのように広がったのか?お釈迦様が悟りに至った後を紐解く
2022.07.04
世界にはさまざまな宗教があります。仏教やキリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、神道などが有名です。宗教は我々人間が安らかに生きていくための、心のよりどころといえるものです。
日本人に一番なじみが深い宗教は「みんなが幸せに生きるための教え」を説く仏教でしょう。仏教は今から約2,500年前、インドでお釈迦さまが説いた教えといわれています。お釈迦さまは「人間がなぜ悩んだり苦しんだりするのか」「その苦悩から解放されて幸せに生きるにはどうすればよいか」といった方法について教えてくれました。
また仏教といえば、お葬式やお墓参りを思い出し、故人様やご先祖様のためにあるものと思う方も多いかもしれません。しかし、それは間違いで、今こうして生きている私たちが幸せになるための教えが仏教なのです。
今回は、お釈迦様がどのような方だったのか、悟りの境地に至る過程や仏教がどのように広がったのかについて解説します。
お釈迦様の厳しい修行
出家したお釈迦様は、すぐに髪を剃りお坊様のスタイルになりました。そして、故郷から数百キロ離れた、マガダ国の王舎城(おうしゃじょう)へ向かいます。王舎城は5つの山に囲まれており、その1つである霊鷲山(りょうじゅせん)には多くの出家修行者がいたそうです。
お釈迦様は、ここで2人の偉い仙人に師事し、座禅による瞑想法(深く考えを巡らす方法)を習いました。お釈迦様は2人の仙人が瞑想によって達した悟りに、すぐ到達しました。しかし、それでもお釈迦様の悩みは解決しなかったそうです。
お釈迦様が次に向かったのは、王舎城から70キロ南西のガンジス川支流の尼連禅河(にれんぜんが)の畔にある、セーナーニ村といわれています。ここでは多くの信者が、苦行により悟りを得ようとしていました。
ちなみに、苦行の具体例は、以下の通りです。危険なので、絶対に真似をしないでください。
・息を止め続ける
・片足で立ち続ける
・太陽を見続ける
・体を首まで土の中に埋めたままにする
・食べ物を何日も食べない
など
中でも一番苦しいと言われるのは、食べ物を何日も食べない断食修行です。断食は21日間が限界とされていましたが、なんとお釈迦様は倍の42日間も行ったといわれています。周りの修行者たちは驚き、お釈迦様を褒めたたえました。そして、お釈迦様を中心とした6人の修行チームができあがったそうです。
お釈迦様が悟りの境地に至るまで
苦行を何年も続けたお釈迦様の体はやせ細り、骨と皮だけになってしまいました。しかし、それでも悟りを得ることはできません。
ある日、農民の歌が聞こえてきました。
「琵琶の弦は、きりりと張れば、ぷっつり切れる。緩めたらべろんべろん」
それを聞いたお釈迦様は「苦行は苦しみに耐える力はつくかもしれないが、悟りを得るためには無意味では無いか?」と気づきます。そして「快楽ばかりでもいけない、苦行ばかりでもいけない。極端に偏りすぎず程良い中道を歩むべきだ」という考えに至ったそうです。
体を清めるためにお釈迦さまは尼連禅河(にれんぜんが)に入りますが、危うく流されそうになります。何とか岸にたどり着き、木の下で休んでいると、村娘のスジャータが通りかかりました。娘は弱ったお釈迦様に毎日、牛乳のおかゆを食べさせてくれたそうです。
元気を取り戻したお釈迦様は、静かなガヤーという町へ移り、菩提樹の下で座禅を組みました。そして「悟りを得るまでは決してこの座を立たない」と、固い決意で瞑想を続けました。
すると悪魔たちが現れて、お釈迦様の悟りを邪魔しようとしました。しかし、お釈迦様はそれに打ち勝ち、とうとう悟りを得ることに成功します。
なお、お釈迦様の悟りを邪魔した悪魔たちとは、以下のものです。
金銭欲、色欲、権力欲、妄執、睡魔、恐怖、驕慢、嫌悪、怠惰、疑惑、虚勢、強情
お釈迦様はどのように仏教を広めたのか?
「老・病・死という宿命を背負った人間が幸せに生きる為には、どうしたらよいのか……」ついに、その真実を悟ったお釈迦様ですが、人々に自分の悟りを語ることをためらいました。なぜなら、人々に簡単には理解されないだろうと考えたからです。
出家のときに城からの脱出を手伝った梵天はそれを知り「お釈迦様の悟りこそが仏の心理であり、仏教なのです。人々にその教えを広めてくれなければ、この世は滅亡してしまいます」と何度もお願いしました。お迦様は梵天に背中を押されて、仏の心理の教えを人々に語ることを決意します。
そして、苦行時代の仲間が修行している鹿野苑(ろくやおん)へ向かいました。5人は苦行を捨てたお釈迦様を弱虫だと無視をしていましたが、その迷いのない気高い姿に心を打たれ、教えを本気で聞きました。そして最初の弟子になったそうです。
次に、耶舎(やしゃ)という大商人の息子も、お釈迦様の教えを直ぐに理解し、出家して弟子になりました。また、有名な宗教者の迦葉(かしょう)三兄弟も、教えを聞いてすぐに弟子になり、彼らの弟子1,000人もお釈迦様の弟子になります。このように、お釈迦さまが悟りを得てからわずか半年で、仏教の大集団ができあがったのです。
お釈迦様の八大聖地
仏教聖地は世界中にたくさんあります。中でも最も有名なものが、お釈迦様の八大聖地と呼ばれる場所です。それぞれどのような場所なのか解説します。
1.ルンビニー
ネパールにあるルンビニーは、お釈迦様の「誕生の地」とも呼ばれる、仏教四大聖地のひとつです。お釈迦様が生まれたとされる花園や産湯に使ったといわれる池があり、世界遺産にも登録されています。
2.ブッダガヤ(ウルヴェーラー)
インド東部のビハール州にあるブッダガヤは、お釈迦様が悟りを得た地で、四大聖地のひとつです。ブッダガヤの中心には、高さ52mにも及ぶ搭や菩提樹があります。
3.サールナート
インドにあるサールナートは、お釈迦様が最初に説法をした地といわれており、こちらも四大聖地のひとつです。お釈迦様が鹿のたくさん住む森で、はじめて教えを説いたことから「鹿野苑(ろくやおん)」とも呼ばれており、初転法輪のゆかりの地とされています。ちなみに金閣寺の別名「鹿苑寺」は、鹿野苑から取ったそうです。
4.ラージャガハ
ラージャガハ(竹林精舎)もお釈迦様が布教を行った地といわれており、ラージキルとも呼ばれる聖地です。ラージャガハは、お釈迦様がもっとも長く滞在したことで知られています。
5.サヘート・マヘート
サヘート・マヘート(祇園精舎・舎衛城)とは、ネパールの国境近くにある布教の地とされる聖地です。なお、仏教の経典でサヘートは「祇樹給孤独園」と訳され、平家物語の冒頭でも「祇園精舎」と略されて記載されています。
6.サンカッサ
サンカッサは、お釈迦様が天界にいる母に説法をしたという伝説の地です。インドにあるといわれているサンカッサは、別名サンカーシャとも呼ばれています。
7.ヴェーサーリー
ヴェーサーリーは最後の旅の宿泊地と呼ばれる聖地で、古代インドに存在した商業都市といわれています。仏教集団のことを「サンガ」と呼ぶのは、ヴェーサーリーに存在した商工業者の組合の仕組みを、仏教が取り入れたことが理由だそうです。
8.クシラーナー
クシラーナーは、お釈迦様が亡くなった「入滅の地(にゅうめつのち)」と呼ばれる四大聖地のひとつで、クシラガナとも呼ばれる聖地です。自らの死を悟ったお釈迦様はクシナーラーにおいて、鍛冶屋の息子である純陀(チュンダ)が供養したキノコによる下痢が原因で、この世を去ったと伝えられています。
お釈迦様の対機説法とは
仏の教えを説いて聞かせるのが「説法」です。お釈迦様は「対機説法」と呼ばれる独自の方法で、人々に仏の教えを語りました。
対機説法とは、聞き手の理解力や目的、思想や環境などに合わせて話し方を変えることです。相手の能力や立場に立って丁寧に説法を行ったことで、お釈迦様の教えが誰にでも分かりやすく伝わり、人が人を呼んで仏教の信者が増えていきました。
お釈迦様の十大弟子
お釈迦様にはたくさんの弟子がいましたが、その中でも特に能力が高く、信頼されていたのが十大弟子と呼ばれる弟子たちです。十代弟子はそれぞれ秀でた能力を持つ点が特徴で、各ジャンルでNO.1だったことから「〇〇第一」と呼ばれています。
十代弟子の名前と別名、能力は以下の通りです。
・「知恵第一」舎利弗(しゃりほつ):お釈迦様の教えをいち早く理解した
・「陣痛第一」目連(もくれん):悟りを得た者が持つ超能力が一番優れていた
・「頭陀第一(ずだだいいち)」魔訶迦葉(まかかしょう):頭陀行を一生続けた
・「天眼第一」阿那律(あなりつ):視力を失ったが何でも見通せる心の目を持った
・「解空第一」須菩提(しゅぼだい):お釈迦さまが説く空の教えを一番理解した
・「説法第一」富桜那(ふるな):議論が巧みで布教の旅で多くの人を導いた
・「広説第一」迦旃延(かせんねん):教えをわかりやすく語ることが上手だった
・「持律第一」優婆離(うばり):集団生活の約束事を守ることに優れていた
・「密行第一」羅睺羅(らごら):お釈迦様の出家前の子ども、教えと修行を受け継いだ
・「多聞第一」阿難陀(あなんだ):いつもお釈迦様のそばにいて教えを一番多く聞いた
お釈迦様の入滅
お釈迦様は1箇所には留まらず、北インドを旅しながら仏教を広めました。ただし雨季には、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)や祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)という修行道場に留まって説法を行ったそうです。
35歳で悟りを得てから80歳で亡くなるまでの45年間、お釈迦様はずっとその生活を続け、多くの人々に仏教を伝えました。お釈迦様はクシナガラという町で、この世を去りました。
お釈迦様の死は、仏の世界に帰ったとされ入滅と呼ばれています。80歳になり体が衰えていたお釈迦様は、いつもそばにいた阿難陀を連れて故郷をめざし、最後の布教の旅に出ました。
その途中で自分の命がそろそろ尽きることを感じ、クシナガラを入滅の場所に選んだそうです。2本の沙羅の木の間で、頭を北へ向け、体の右側を下にして横になりました。そして、阿難陀から入滅が近いことを聞いて集まった多くの弟子や信者が見守る中で、静かに息を引き取ったといわれています。弟子や信者だけでなく、動物たちも嘆き悲しんだそうです。
涅槃会(ねはんえ)とは、命日である2月15日に行われる、お釈迦様を称える行事です。お釈迦さまが亡くなられたときの様子を描いた涅槃図(ねはんず)を、本堂にかかげてお参りします。
まとめ
我々日本人に馴染み深い仏教を、お釈迦様がどのように広めていったのか、知っていただけたと思います。お釈迦様が偉大だったことはもちろん、それを支える十大弟子の存在も、仏教の発展には欠かせないものだったようです。そして、現在もお釈迦様の意思を継ぐ弟子たちの末裔が、仏教が広く信仰しているのでしょう。
なお、今回の記事を作成するにあたり、山折哲雄先生監修の「キャラ絵で学ぶ! 仏教図鑑」を参考にさせて頂きました。