般若心経とは?般若心経前文と読み方、意味などをご紹介
2023.10.24
般若心経という言葉を聞いたことがあっても、どのような意味で、また何の目的で唱えられるものかをご存じない方は多いでしょう。般若心経はお経の1種であるため、葬儀や法要などでも唱えられます。
ここでは、般若心経はどのようなものなのかを理解してもらうために、般若心経全文と読み方や意味などをご紹介します。
般若心経とは
般若心経は、仏教の経典の1つで、おもに密教と禅宗で広く用いられる重要な教典です。心の根源的な理解と悟りを開くことを目指す人にとって、重要な教えや指針を提供します。
なお、般若心経には「はんにゃしんきょう」と「はんにゃしんぎょう」の2つの読み方があります。般若心経は、真理の本質である「般若」を学びと、智慧や洞察力を深めるための教えを含んでいる点が特徴です。
般若心経に書かれている内容
般若心経は、観音菩薩がさまざまな事例を通じて、すべての事象には実体がない(=空)という教えを説いていることが特徴です。浄土宗や真言宗、天台宗、禅宗を中心に、仏教の多くの宗派で読まれています。
特に、一節で述べられる「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」という言葉は、物質世界(色)には固有の実体がないことを示唆し、同時にそれが空であることを意味します。これは、単なる虚無主義を否定し、より深い教義を示唆する考え方です。
また、般若心経には「一切皆苦」という言葉も含まれており、これは人生において苦悩が不可避であることを表現しています。
般若心経の重要な部分
経典の中でもっとも重要な部分は、中心的な箇所である「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時」から始まり「心無罣礙、無罣礙故、無有所得故、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故」まで続く部分です。
般若心経は、おもに仏法の中で「空」の教義を重要視しています。この教えは、万物が固定的な存在ではなく、空であることを示しています。つまり、万物は永遠に変化し、個別の存在としての実在を持たないとされています。
五蘊皆空、度一切苦厄
般若心経には「五蘊皆空、度一切苦厄(ごうんかいくう、どいっさいくやく)」という教えも含まれています。これは「私たちの苦しみや困難は、個別の存在や執着に基づくものである」とことを示す教えです。
「五蘊皆空」とは、私たちが持っている「色・受・想・行・識」という5つの要素が、本来は存在しないことを表しています。また「度一切苦厄」とは、「一切の苦しみから逃れられる」という意味です。
仏教よれば、この執着から解放されることにより、真の幸福や解放を得られるといわれています。したがって、般若心経を読むことや唱えることは、智慧を深め、執着を超越し、真の自由を得るための手段といえるでしょう。特に、心の浄化や悟りを目指す人々にとって、般若心経は重要な実践となります。
般若心経は、短い経典でありながら、深遠な教えを含んでいます。その中心的な教義である「空」や「五蘊皆空」という概念を理解し、実践することは、私たちの日常生活や心のあり方を変革することにつながるでしょう。般若心経のメッセージに真摯に向き合い、その教えを実践することで、より豊かな人生を築くことが可能です。
葬儀や法要における般若心経の目的と唱えるタイミング
般若心経は、しばしばお葬式や法要の際にも朗読されます。ただし、これらの場面での般若心経の朗読には、それぞれ異なる目的があるため注意しなくてはいけません。
ここでは、葬儀や法要で般若心経を唱える目的と、タイミングをご紹介します。
葬儀や法要で般若心経を唱える目的
葬儀における朗読は、故人様の冥福を祈るために行われる一方、法要における朗読は、自身の「徳」を獲得し、それを故人様に捧げる「回向」という思想に基づいています。般若心経の内容は、おもに「空」という概念に焦点を当て、智慧を深めるために用いられます。このように般若心経は、祈りと自己啓発のために広く活用されているのです。
般若心経を唱えるタイミング
葬儀や法要で般若心経を唱えるタイミングは、枕経やお通夜、および火葬場で読経するときが多いです。葬儀における読経は、おもに故人様の冥福を祈るために行われます。一方、法要では、自身の「徳」を故人に向けて捧げる「回向」という概念に基づいて般若心経が唱えられます。
ただし、僧侶や寺院の考え方などによって、般若心経を唱えるタイミングは異なるため注意しましょう。
般若心経全文と読み方、意味
般若心経とは、具体的にはどのようなお経なのでしょうか。ここでは、般若心経全文、および読み方、意味をご紹介します。
般若心経全分
般若心経の全文は、以下のとおりです。
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是。 舎利子、是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減、是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得、以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃、三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯謹羯謹、波羅羯謹、波羅僧羯謹、菩提娑婆訶。 |
般若心経は仏教経典の1つである、般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)と呼ばれる教えが含まれています。人々が苦しみから解放されるための方法です。般若心経は、多くの人にとって重要な教えであり、さまざまな言語に翻訳されて広まっています。
般若心経の読み方と意味
般若心経の読み方は、以下のとおりです。
かんじざいぼさつ、ゆきふかいはんにゃはらみったとき、てらかみごううんかいくんがすべてからで、いっさいのくのうんをくぶんする。しゃりし、いろふどうくう、くうふどうしょく、しょくそくぜくう、くうそくぜしょく、うけおもいおこなしきしきもまたかく。 しゃりし、これしょほうくうそう、うまれずしぼれず、けがらずきよひにひくし、ふえずへったりすることもない。それゆえ、からちゅうむじき、むじきょういくしめん、むがんもうけんびしんいしき、むしょくおんきみさっかんひょう、むげんかい、いたわずむいしきかい、むむようもう、ましてろうしがなく、むくじゅうもうおしつ、むくぶついまたろさんみゃくさんぼだい。それゆえしょうはにゃはらみったゆえ、べにょしゃべにょ、はらぎゃしゃべにょ、はらそうぎゃしゃべにょ、ぼだいそわか。 |
また現在における意味は、以下のように解釈できます。
観自在(かんじざい)な菩薩(ぼさつ)が、深い般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)の境地を行う時に、5つの蘊(うん)がすべて空であり、一切の苦悩を超越することを照らし見ます。舎利子(しゃりし)、色は空であり、空は色であり、色そのものが空であり、空そのものが色であり、受け取ること、思うこと、行動すること、意識することも同様です。 舎利子(しゃりし)、これらの法は空の性質をもっており、生まれることも滅びることもなく、汚れることも清浄になることもなく、増えたり減ったりすることもありません。それゆえ、空には色はなく、受け取ること、思うこと、行動すること、意識することもなく、目、耳、鼻、舌、身体、意識もなく、色や音、香り、味、触感、法もなく、目の世界も存在せず、感覚の世界も存在せず、無知もありません。無知の終わりもなく、老いも死もなく、苦しみや集まり、滅びの道もなく、また知識や理解もなく、得るものもありません。それゆえに、般若波羅蜜多に依りますと、菩薩は心に障害を持たず、障害がないが故に恐怖もありません。一切の迷いや妄想から遠ざかり、究極的な涅槃(ねはん)に至ることができ、三世の仏にもなれるのです。般若波羅蜜多に依りますと、阿耨多羅三藐三菩提(あなただらさんみゃくさんぼだい)を得られるのです。だから、般若波羅蜜多は大いなる神の呪文であり、大いなる明の呪文であり、無上の呪文であり、それ以上ない最高の呪文であり、すべての苦悩を乗り越えられる真実の呪文です。したがって、羯謹(かんじん)、波羅羯謹、波羅僧羯謹、菩提娑婆訶(ぼだいしゃぼか)という呪文を述べるのです。 |
観自在とは
観自在とは、般若心経の冒頭に登場する言葉であり、菩薩が深い般若波羅蜜多の境地を行うことを表します。
「観(かん)」は、観察や洞察という意味です。菩薩が深い洞察力や観察力を持ち、広く深く存在を観察し理解することを示しています。 一方、「自在(じざい)」は、完全に自由であるという意味です。菩薩が自由に行動し、束縛や制約から解放され、無限の可能性を持つことを表しています。
したがって「観自在菩薩」とは、深い洞察力と自由な行動力を持つ菩薩のことです。この言葉は、菩薩が般若波羅蜜多の修行を行い、真理を悟り、他の被りものや執着から自由になろうとする姿勢を表しています。
菩薩とは
菩薩とは、仏教における重要な概念であり、覚悟を決めて仏道に進む存在をさします。一般的に仏教における菩薩とは、悟りを開いた仏(ブッダ)の教えに基づいて、他者を救済しようとする人々のことです。彼らは自己の解脱だけでなく、他者の苦しみや無知から救うために善行を行い、慈悲深く行動します。
菩薩道は、悟りや解脱が個人の目標だけでなく、他のすべての生きとし生けるものの幸福と苦しみの緩和にも関わるという考え方です。彼らは自己犠牲を惜しまず、慈悲や智慧をもって他者を救済することに専念します。
仏教における菩薩観は、大乗仏教や密教などの流派で広く教えられており、仏教徒にとって道徳的な模範や憧れの存在といえるでしょう。彼らは慈悲深さ、智慧、善行などの美徳を体現し、他者の救済に尽力することをめざします。
般若心経における5つの蘊
「5つの蘊(うん)」とは仏教の教えの1つで、人間の存在や経験を分析するための概念です。これらは感覚器官、知覚、心理的状態などの要素から成り立っています。
5つの蘊の概要は、以下のとおりです。
1.色蘊(しきうん):身体や物質的な要素をさします。人の体や物体の形、色、質感などが含まれます。
2.受蘊(じゅううん):感覚体験や受け取りの要素をさします。外界からの刺激や感覚の受け取り、喜びや苦しみの感じ方が含まれます。
3.想蘊(そううん):思考や感情の要素を指します。考えや感情、願望、妄想、思い出などが含まれます。
4.行蘊(ぎょううん):行動や意識の要素を指します。行動や意図、意識、意志などが含まれます。
5.識蘊(しきうん):知覚や認識の要素を指します。知覚や認識、判断、思考などが含まれます。
これらの蘊は、人間の存在や経験をより詳細に分析し、苦しみから解放されるための修行や、悟りの道において重要な理解を提供するものです。菩薩道や禅宗など仏教の教えの中で、これらの概念について詳しく解説されています。
舎利子
「舎利子(しゃりし)」は、般若心経やその他の仏教の経典でしばしば登場する言葉です。
「舎利」(しゃり)は、仏教において仏陀(ブッダ)の遺骨や遺物をさします。具体的には、釈迦(しゃか)仏の遺骨や埋蔵物、または仏の遺物を納めた宝篋(ほうきょう)などを意味します。 「子」(し)は、尊敬の意を込めて人を指す敬称です。
つまり「舎利子」は、仏陀の遺骨や遺物に関する敬意を込めた尊称として使われています。
般若心経〜唱え方
般若心経の唱え方は、以下のとおりです。
1.準備:まず、心を静め、落ち着いた状態で座ります。身体をリラックスさせ、深呼吸を数回行い、心を整えましょう。
2.声を出して唱える場合:般若心経の冒頭から「観自在菩薩……」までは、心を込めてゆっくりと唱えます。 「舎利子、色不異空、空不異色……」から「遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃……」までは、緩やかなリズムで唱えます。最後の「羯謹羯謹、波羅羯謹、波羅僧羯謹、菩提娑婆訶」は、力強く明瞭に唱えましょう。
3.心の中で黙って唱える場合:般若心経のテキストを心の中で黙読し、その意味を思い浮かべながら唱えます。各節ごとに一呼吸ずつゆっくりと進めながら、意識を集中させ、心を清浄に保ちましょう。
般若心経は日本語によるお経のため、読む際は正しい発音に気をつけて、敬意をもって唱えることが大切です。また、自分自身の信仰や宗教の枠組みに合わせて唱えることも、重要なポイントだといえるでしょう。
まとめ
般若心経は、仏教とはもちろん、我々日本人にとっても馴染みのあるお経といえます。普段、葬儀や法要で耳にする般若心経の意味を深く理解することで、参列時の心持ちも変化することでしょう。ぜひ、この機会に般若心経の知識を深めてもらえれば何よりです。
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