弘法大使(空海)の教えとは?顕教と密教、真言宗の知識なども紹介

2022.08.16

「弘法大師(こうぼうだいし)」は「空海」とも呼ばれる人物で、仏教の歴史を語るうえで欠かせない存在です。しかし、多くの方が日本史などで少し学ぶ程度なので、弘法大師(空海)に関する深い知見をもっているケースは少ないでしょう。

日本の仏教界においては、トップレベルの有名人であろう弘法大師(空海)。今回は、そんな弘法大師の生い立ちから、弘法大師(空海)を開祖とする真言宗の教えなどについて解説します。

弘法大使(空海)とは

弘法大師は平安時代初期の僧で、空海と同一人物です。弘法大師という名前は、空海の死後に送られた諡(おくりな)といわれています。一方、空海という名前は、仏の弟子として自身が生前に名乗ったものだそうです。

宗教家としての活動だけに留まらず、庶民のための学校設立や池の修築などにも携わり、書の名手としても知られています。書に関しては「弘法筆を選ばず」という諺に名前を残すほどの、優れた腕前だったそうです。

弘法大使(空海)の生い立ち

弘法大師(空海)の生い立ちを年表にしました。順番に確認していきましょう。

774年

宝亀5年

1歳

今の香川県善通寺市である讃岐国多度郡(さぬきのくにたどのごおり)に生まれる。幼名は、佐伯真魚(さえきまお)。

788年

延暦7年

15歳

母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)に、論語・孝経・史伝などを学ぶ。この頃、長岡京(当時の都)に上がる。

791年

延暦10年

18歳

大学に入学する。大学での学問は、おもに役人として出世するためのものだった。世の中の困っている人を救いたいという気持ちから、次第に仏教に興味を持つようになる。

793年

延暦12年

20歳

周囲の反対を押し切って、出家を決める。

今の大阪府である和泉国(いずみのくに)、槙尾山寺(まきのおさんじ)で剃髪・得度し、名を教海(きょうかい)とする。後に如空(にょくう)と改める。

795年

延暦14年

22歳

修行を重ね、名を空海(くうかい)と改める。

東大寺大仏殿での夢のお告げにより、久米寺東塔にて大日経を発見する。大日経には理解できない部分があり、ついに唐(中国)に渡る決心をする。

804年

延暦23年

31歳

留学僧として、遣唐使の一行とともに唐へ向かう。

天台宗の開祖・最澄(さいちょう)も一緒だったという。

5月12日:難波を出発。

12月23日:長安に到着。

805年

延暦24年

32歳

2月11日:西明寺に移る。

6月~8月:青龍寺(しょうりゅうじ)にて、恵和和尚(けいかかしょう)のもと、修行に励む。

遍照金剛(へんじょうこんごう)と呼ばれる灌頂名(かんじょうめい)を授けられ、真言密教の第八祖となる。

806年

延暦25年

大同元年

33歳

8月:明州(みんしゅう)を出発する。

10月:無事に帰国

810年

弘仁元年

37歳

嵯峨天皇に書を奉り「真言宗(しんごんしゅう)」を開く許しを得る。

815年

弘仁6年

42歳

若い頃に修行した因縁で、阿波・土佐・伊予・讃岐の4か国を巡り、各地で奇蹟を残す。これが、四国八十八ヶ所霊場(四国遍路)の始まりとなる。

816年

弘仁7年

43歳

道場建立のために、高野山の地を賜う。

821年

弘仁12年

48歳

讃岐国満濃池(まんのういけ)の修築を任される。

828年

天長19年

55歳

庶民のための学校、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創立する。

835年

承知2年

62歳

3月21日:高野山にて入定。永遠の瞑想に入る。

921年

延喜21年

 

弘法大師の諡を賜う。

弘法大使(空海)の教え

弘法大師(空海)は真言宗の開祖となり、「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」の教えを説きました。本章では、空海の教えに関わる顕教と密教、台密と東密について解説します。

なお、真言宗については以下の記事で詳しく解説しているので、併せてご確認ください。

関連記事:真言宗の教えやお経とは?葬儀の流れやマナーも解説

顕教と密教

弘法大師(空海)の開いた真言宗の教えについて語るうえで避けて通れないのが「顕教(けんぎょう)」と「密教(みっきょう)」の違いです。真言宗は密教にあたります。

顕教とは、お釈迦様が聞く人の能力に合わせて、分かりやすい言葉で顕(あらわ)に説いた教えのことです。成仏するためには、釈迦如来を本尊として修行を積むことが求められます。

これに対し密教は、心理そのものの現れであるところの大日如来が、究極の教えを示すものです。師匠から弟子へと教えが引き継がれ、未公開な部分が多いという特徴を持ちます。つまり密教は、段階を経ないと公開されない、秘密の教えであるということです。

また、顕教と密教を大きく隔てるものが即身成仏の思想でしょう。この他にも、いくつか重要なキーワードがありますので、後程でまとめて紹介します。

台密と東密

弘法大師(空海)や最澄が帰国した頃、時の天皇は、自分たちの願いが叶う密教の教えを重宝しました。そのため、最澄は密教分野の充実に努め、これに円仁、円珍、安然らが続くことで、天台宗の密教部門が完成されました。これを「台密(たいみつ)」と呼びます。

一方、天台宗の密教に対して、真言宗の密教であることを強調して生まれたのが「東密(とうみつ)」という表現です。東寺をよりどころとしたため、このように名が付きました。東密は別名、真言密教とも呼ばれます。

台密と東密の共通点は、お釈迦様の言葉である顕教の経典よりも、密教経典のほうがより優れているという考えです。これは密教の立場をとる以上、ある意味当然のことだといえるでしょう。

また、台密と東密の相違点として、大日如来と釈迦如来の区別の違いが挙げられます。

台密では、大日如来と釈迦如来は同一の仏であり、釈迦如来の別名が大日如来であると説く点が特徴です。一方の東密は、大日如来と釈迦如来は別の仏であり、大日如来の化身のひとつが釈迦如来であると説きます。

真言宗における8つの重要なキーワード

真言宗を理解するうえで欠かせない8つのキーワードについて解説します。これらを知ることで、より真言宗を理解しやすくなるでしょう。

即身成仏

即身成仏とは密教において、修行を行うことによって悟りを開き、人が生きたまま仏になるという思想のことです。言い換えると、生身のまま悟りを開くことだといえるでしょう。

この世のすべてのものは、大日如来が姿を変えたものであるため、人も仏も本質は同じであると定義しています。なお即身成仏は、修行者が瞑想を続けてミイラ化する「即身仏」と混同しがちなので注意が必要です。

真言(しんごん)

真言とは、大日如来が発した言葉のことです。文字通り、真実を表しており、まやかしの言葉である妄語とは対をなします。

梵字の一字一字に意味が込められているため、訳さずにサンスクリット語のまま唱えられる点が特徴です。

梵字(ぼんじ)

梵字とは、梵語(古代インドで使われたサンスクリット語)を書き表す文字のことです。梵語は悟りの世界を象徴的に表しており、文字でありながら、そのものが信仰の対象にもなっています。

三密加持(さんみつかじ)

我々の持つ身体・言葉・心の働きを「三業(さんごう)」と呼び、仏の持つ身密(しんみつ)・口密(くうみつ)・意密(いみつ)を「三密(さんみつ)」と呼びます。三密加持とは、三業と三密を一体化するために真言を唱え、印を結び、心に大日如来の姿を思い描く修行のことです。

三密加持が完璧に行われることで、仏と自己の一体化が完成するといわれています。弘法大師(空海)は、それこそが即身成仏であると説いています。

阿字観(あじかん)

阿字観は三密加持よりも簡単で、誰にでもできる易しい瞑想法のことです。「阿」字は、梵字50字のうちの最初の文字であり、大日如来を表す文字といわれています。

なお、阿字に集中することで、自身に宿る仏を感じ大日如来と一体化できるそうです。

灌頂(かんじょう)

灌頂とは、仏との縁を結ぶ儀式で、いくつかの種類があります。出家在家を問わず、どの仏に守って頂くかを決める、結縁灌頂(けちえんかんじょう)をはじめ、密教を深く学ぶ修行者のための受明灌頂(じゅみょうかんじょう)、阿闍梨(あじゃり)の位を授ける伝法灌頂(でんぽうかんじょう)などが、灌頂の代表的な事例です。

阿闍梨(あじゃり)

阿闍梨とは、一定期間の修行である四度加行(しどけぎょう)を終え、伝法灌頂を授かった者に与えられる資格のことです。師範という意味を持つ、サンスクリット語が由来の言葉だといわれています。

護摩(ごま)

護摩は真言密教の秘法のひとつです、不動明王の前で護摩木(ごまぎ)を焚き上げて、厄や災いを払います。炎や煙をもって、天上の仏に願いを伝える意味があるそうです。

弘法大使(空海)とゆかりのあるお寺

弘法大師(空海)とゆかりのあるお寺は、日本や海外にたくさんあります。本章では、特に有名なものをピックアップして紹介します。

青龍寺

青龍寺は弘法大師(空海)が密教を学んだ、原点ともいえるお寺です。かつての唐の都である長安、現在の西安市内からほど近い場所にあります。四国八十八ヶ所霊場における、0番札所となっている場所です。

善通寺

香川県にある善通寺(ぜんつうじ)は、弘法大師(空海)が誕生した土地に建てられたお寺です。唐より帰国した弘法大師(空海)が、青龍寺を模して建立したといわれています。

善通寺という名前は、弘法大師(空海)の父・善通(よしみち)が由来ということです。真言宗の十八本山のうちの1つであり、四国八十八ヶ所霊場の75番札所に指定されています。

東寺

京都にある東寺(とうじ)は、正式名称を「教王護国寺(きょうおうごこくじ)」と呼ぶお寺です。唐から帰国した弘法大師(空海)に、嵯峨天皇が託したお寺といわれています。

真言密教の聖地である、真言宗の十八本山のうちの1つです。

高野山

和歌山県にある高野山(こうやさん)は、弘法大師(空海)が修行の場所として開いた、東寺と並ぶ真言密教の聖地といわれるお寺です。奥之院(おくのいん)の弘法大師御廟(こうぼうだいしごびょう)では、弘法大師(空海)が今も永遠の瞑想を続けており、人々幸福を祈っているという伝説があります。

高野山も、真言宗の十八本山のうちの1つです。

まとめ

弘法大師(空海)は「仏のような心で」「仏のように語り」「仏のように行う」という生き方を目指しました。弘法大師(空海)が開いた真言宗は「即身成仏」が教えの根本です。

また「顕教と密教」「台密と東密」を対比することで、弘法大師(空海)の教えが、よりはっきりと浮かんでくるかと思います。実践的な宗教を用いることで、世の中の困っている人々を救いたいと考えた弘法大師(空海)は、宗教家以外にも数多くの顔を持ち、生涯を通して精力的に活動した、まさに時のスーパースターといえる人物だといえるでしょう。